家庭が長期のケアを始めると、家のなかには気づかないうちに多くの物品が増えることが多い。衛生用品、消耗品、補助具、予備品、そして臨時の必要を心配して先に買っておく日用品。外から見れば、これらの堆積は制御を失ったように見えることがある。ケアしている人にとっては、日常が途切れないための準備であることが多い。
「少し買うのを控えればよい」だけで応えれば、ケアする家庭の流入端には、自由に選べないものが少なくない、ということを見落としやすい。本当に扱うべきなのは、たいてい、物品がなぜ入ってきたかを責めることではない。必要な物資に安全な位置を与え、もう適さなくなった物品が、適切な時点で出ていけるようにすることである。
玄関を入る物品は、購買欲だけから来るのではない
ケアの期間によく見られる第一の類は、周期に沿って補充する薬品、清掃用品、日常の消耗品である。臨時の不足を避けるため、家庭は予備量を残すことが多い。第二の類は、補助具と器材である。身体の状況が変わったあと、もともと使っていた物品は一時合わなくなることがある。だが家族は、すぐ処理する勇気を持てないことも多い。次の段階でなお要るかどうかが、判定しにくいからである。
第三の類になって、ようやく一般の購買である。ケアする人が長く張り詰めた状態にあると、往復の時間を省き、不確かさを下げるために、使えそうに見えるものを多めに買うことがある。これは、すべての買い入れを正当化することではない。物品が積もる背景には、ケアの圧力、情報の不足、予測できない必要が含まれうる、という注意である。
残すことは、その場でもっとも危険の少ない選択であることが多い
整理でもっとも難しいのは、たいてい物品が見えないことではなく、誤った決定をすることを恐れることである。ケアする人は、捨てたあとに家族が要るのではないか、責められるのではないか、当時の状況を兄弟姉妹が理解しないのではないか、と心配することがある。そこでどの品も、まず残す。一つひとつの選択だけを見れば理解できる。長く積もったあとでは、食卓、通路、部屋が元の機能を失うことがある。
これも、「相手がいないあいだに片づけてしまう」が良い方法ではない理由である。物品の背後には、ケアの経緯と責任感があることが多い。同意のない処理は、家族から安全感を奪い、その後、いかなる調整も話しにくくすることがある。物品を再び流通させるには、対話と選択権を先に残すことのほうが、一度に空けることを求めるより大切である。
空間と回転から手配を始める
第一歩は、どれが使用中か、どれが安全な予備量か、どれがすでに確認待ちの状態へ入ったかを見分けることであってよい。よく使う消耗品は、見え、手が届く位置に置くのに適する。予備品は固定の容器にまとめ、すべての隅へ散らさない。用品が、あらかじめ決めた容器の容量を超えたときは、すぐ減らせと求めるのではなく、改めて数える注意になる。
補助具や段階的な用品は、ケアの必要が変わったときに一度、棚卸しを手配してよい。要点は、家族にその日のうちの決定を迫ることではない。まず用途、状態、誰に決定権があるかを記し、なお残す必要があるかをともに確認することである。適切な親族、地域の資源、受け取る経路があるなら、安全、衛生、実際の必要も先に確認し、譲り渡しを別種の倉庫にしない。
安全在庫を雑物として扱ってはならない
持続可能であることは、どの櫃も最少まで空けることではない。資源が必要なときに正しく使えるようにすることである。薬品、医療に関わる用品、必要な消耗品を残すべきかは、個別のケアの必要に関わる。本稿は医療や調達の助言を提供できず、ケアのチームと使用説明に従うべきである。通路、扉、火元の周辺が堆積に影響されているときは、通行と住まいの安全を優先して扱い、それからほかの物品を段階的に話し合う。
ケアの期間のモノの管理は、家庭の支えの一環である。ともに棚卸しできる人、運ぶのを手伝える人、決定をともに担う意思のある人がいてこそ、ケアする人は、すべての不確かさを家のなかへ積まなくて済む。まず「これらの年、どれだけのものが出せたか」と問うほうが、まず「なぜこんなに買ったのか」と問うより、問題の核心に近い。
出典:廖心筠 Facebook 粉絲專頁(內容整理與改寫)
