2024年、世界の平均気温は単一の暦年として初めて、産業革命前の水準を約1.55°C上回った。2025年はわずかに下がったものの、1850年から1900年の平均値を約1.43°C上回り、観測史上2番目または3番目に暑い年となった。2015年から2025年は、すでに観測史上もっとも暑い11年間である。
こうした数字を目にすると、こう問う人がいる。パリ協定は1.5°Cを守ろうとしていたのではないか。すでに超えてしまったのなら、もう何をしても手遅れなのではないか。
答えはそうではない。
パリ協定が指す1.5°Cとは長期平均の気温上昇であり、ある一年だけ一時的に線を越えたことが、世界の敗北宣言を意味するわけではない。エルニーニョなどの自然変動によって単年の値は上下する。しかし本当に無視できないのは長期的な傾向だ。過去11年は、いずれも最高気温の記録の上位に並んでいる。これは天候がたまたま異常になっているのではなく、気候システム全体が変わりつつあるということである。
0.1度の積み重ねは、抽象的な小数点ではない
1.5°Cと2°Cは0.5°Cの差にしか見えず、体感としてはさほど明確でないかもしれない。だが地球にとっては「今日は30度、明日は30.5度」というような単純な話ではない。平均気温の上昇は、熱波、豪雨、干ばつ、山火事、海面上昇のリスクを増幅させる。しかも、もっとも深刻な影響を受けるのは、排出量が多く資源にも恵まれた人々ではないことが多い。
国連環境計画(UNEP)の2025年『排出ギャップ報告書』は、各国が現行の国が決定する貢献(NDC)を完全に履行したとしても、今世紀の気温上昇は2.3°Cから2.5°Cに達しうると指摘する。すでに実施されている政策のみを見れば、2.8°Cに達する可能性もある。同報告書は、1.5°Cを今後10年でさらに大きく超える可能性が高いとも明言している。
これは1.5°Cを諦めよという話ではなく、次のことを思い起こさせるものだ。気候対策は2050年の壮大な目標を宣言するだけでは成り立たない。本当に見るべきは、2030年、2035年までに排出曲線が下向きに転じ始めているかどうかである。
「手遅れ」を行動しない口実にしてはならない
気候問題においてもっとも危険な態度は二つある。一つは否認、もう一つは絶望だ。否認する人は問題はそれほど深刻ではないと言う。絶望する人は、どうせもう遅い、何をしても無駄だと言う。どちらも最後には同じ結果に行き着く——何もしない、である。
しかし気候科学が教えているのは、0.1度の上昇を避けるごとに、災害、損失、そして強いられる移住の一部を減らせるということだ。世界には「守り切る成功」と「全面的な破滅」の二択しかないわけではない。未来がどれほど困難になるかは、今日積み重ねる一つ一つの決定にかかっている。
政府にとってはエネルギー、運輸、建築、産業の政策である。企業にとっては、脱炭素を設備投資、製品設計、サプライチェーン管理のなかに組み込むことである。個人にとっては、自分の消費、移動、食、投資がより大きなシステムにどうつながっているかを理解することである。
一人の選択が世界の気温をすぐに下げることはない。だがそれは市場のシグナル、社会規範、政治的な圧力を形づくる。本当の変化とは、もともと誰か一人の英雄が成し遂げるものではなく、無数の普通の人々が、自分の暮らしは地球と無関係だというふりをやめることによって生まれるものだ。
1.5°Cは世界の終わりのスイッチではない。それは警告であり、同時に定規でもある。まだどれだけの仕事が残っているかを、私たちに思い起こさせるものだ。
参考資料
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世界気象機関(WMO)『State of the Global Climate 2025』2026年3月23日。
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国連環境計画(UNEP)『Emissions Gap Report 2025』2025年11月4日。
