プラスチック条約の交渉は難航——個人の脱プラスチックは一人で戦うものではない

コーヒーを買うときにマイカップを持参し、買い物には自分の袋を用意し、使い捨て食器を断る。こうした選択には意味がある。しかし、多くの人が同じもどかしさを味わったことがあるはずだ。これだけ努力しているのに、家に帰ってネット通販の荷物を開けると、テーブルの上はやはりプラスチックだらけになっている。

問題は私たちが「自律できていない」ことだけではない。プラスチックはすでに製品設計、包装、物流、そして消費のしくみそのものに組み込まれているのだ。会計の最後の瞬間に消費者が断るだけでは、その前段にある生産の連鎖全体を変えることは難しい。

世界は条約をまとめようとしたが、最も根本的な対立で行き詰まった

国連環境総会は2022年に決議を採択し、プラスチックのライフサイクル全体を対象とする国際法的文書の策定を進めることになった。しかし2025年8月にジュネーブで開かれた第5回交渉の第2会期では、10日間を費やしても条文について合意に至らなかった。2026年2月の後続会合では新議長が選出され、交渉は依然として継続を待つ状態にある。

各国の隔たりは文言だけの問題ではなく、問題をどこから扱うのかという点にある。プラスチックの生産と有害化学物質の規制を主張する立場もあれば、廃棄物管理とリサイクルに重点を置こうとする立場もある。前者は石油化学産業と生産側に踏み込むものであり、後者は責任を使用後の段階に置きやすい。

この行き詰まりが示しているのは、プラスチック汚染はリサイクル箱をいくつか増やせば解決する問題ではないということだ。

リサイクルは重要だが、生産を続けるための口実にはならない

プラスチックの種類は多く、添加剤や複合素材、汚れがリサイクルの品質に影響する。リサイクルされても、質を落として数回しか使えないものもある。バージンプラスチックが安価であれば、再生材は市場での競争力を失いかねない。

真の循環経済は、次の順序で考えるべきだ。使わずに済ませられないか。量を減らせないか。繰り返し使い、修理し、詰め替えられないか。リサイクルはその最後にくる。設計の段階から分解も再利用もできない製品をつくり、責任を清掃事業者と消費者に残すのは、問題をライフサイクルの末端へ移しているだけである。

個人の行動を制度へつなげる

マイカップの持参は無駄にはならない。繰り返し使うことを当たり前にし、事業者に需要を見せることにもなる。だが次の一歩は、より良いしくみを求めることであるべきだ。リユース容器は返却しやすいか。商品は不要な包装を減らしているか。生産者はリサイクル処理の費用を負担しているか。政府は素材ごとの流れと回収率を公開しているか。

ビジョン協会は、罪悪感でサステナビリティを推し進めたいとは考えていない。自分はいつまでも十分にできていないと感じ続ければ、最後には何もしなくなってしまう可能性が高いからだ。より有効なのは、個人の選択を市場へのシグナルに変え、そのシグナルを制度へと押し上げていくことである。

マイカップ1つで世界のプラスチック生産量は変わらない。しかし十分に多くの人が使い、企業がサービスを見直し、政府が基準を整えれば、それは単なるカップではなく、新しい生活のインフラになる。

参考資料

  • 国連環境計画(UNEP)、プラスチック汚染に関する国際条約の政府間交渉委員会の公式資料。

  • UNEP、INC-5.2交渉結果、2025年8月15日、INC-5.3の進捗、2026年2月。