製品の包装を緑色に変え、葉っぱや水滴、そして「地球にやさしい」と添えるだけで、以前より持続可能に見えてしまう。だが、どんな素材を使い、どれだけ改善し、比較の基準は何なのか。包装の文言がこれに答えられないなら、消費者が手にしているのはより良い製品ではなく、より安心できる気分にすぎないかもしれない。
これがグリーンウォッシュである。組織が、実際よりも環境のために多くを行っていると外部に信じ込ませることだ。国連が整理した典型的な手口には、明確な定義のない「グリーン」「ナチュラル」「エコ」を使うこと、ごくわずかな改善を大きな効果のように語ること、主要な排出を意図的に無視すること、あるいは信頼できる計画もないままネットゼロを宣言することなどがある。
グリーンウォッシュは必ずしも一つの嘘とは限らない
最も見抜きにくいグリーンウォッシュは、完全な作り話ではなく、真実の一部だけを語るものだ。ある容器は再生プラスチックを30%含んでいるかもしれないが、ブランドはプラスチック使用量の総量が増え続けていることには触れない。工場は再生可能エネルギーを使っているかもしれないが、製品の原材料や輸送による排出は算定に含まれていない。企業がカーボンクレジットを購入して中和を宣言しても、実際の削減割合はごく低い。
したがって環境に関する主張を判断するには、「この一文は本当か嘘か」だけを問うのでは足りない。それが網羅的で、比較可能で、検証できるかも問う必要がある。主張の範囲は一つの製品か、一つの工場か、それとも会社全体か。データは何年のものか。どの基準を採用しているか。第三者による検証はあるか。オフセットを使っているなら、そのクレジットの出所と質はどうか。
企業は意図的に欺いているとは限らず、社内のデータがまだ成熟していないのに、マーケティングの言葉が脱炭素の進捗より先を走ってしまっている場合もある。そのときの最善の対応は、より曖昧な言葉で覆い隠すことではなく、何をすでに達成し、何がまだ範囲に入っておらず、次の一歩をいつ実現するのかを正直に説明することだ。
消費者はフルタイムの探偵になるべきではない
買い物のたびに報告書をすべて読み込むよう市民に求めるのは合理的ではない。政府は環境主張に関する規範と制裁を整備する必要があり、企業は分かりやすく追跡可能な情報を提供すべきであり、メディアと市民社会は検証を続けなければならない。「エコ」がコストなしに使えてしまうなら、本気で転換に取り組む企業こそが悪貨に駆逐されてしまう。
ビジョン協会が目覚めを促すのは、あらゆる善意を疑うよう勧めるためではなく、判断力を養うためである。美しい約束を目にしたら、まず一度立ち止まってみればよい。それが変えているのは製品と制度なのか、それとも私のブランドに対する印象だけなのか。
企業も、自らの主張が十分に正確でないと気づいたなら、訂正の仕組みを持つべきだ。自主的に包装を変更し、資料を補い、行き過ぎた約束を取り下げることは、必ずしも失敗ではない。むしろそれは、その組織がサステナビリティを財務情報と同じ厳しさの検証にさらす意思があることを示している。
サステナビリティには信頼が必要だが、信頼は色やスローガンによって得られるものではない。企業がデータ、対象範囲、進捗、そして不足している点までを併せて公開するなら、まだ完璧に達していなくても、かえって信じるに値する。
本当のサステナビリティとは、問題がないように見えることではなく、問題が見えるようにすること、そして社会から問い続けられることを受け入れることなのだ。
参考資料
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国連、Greenwashing – the deceptive tactics behind environmental claims。
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国連ハイレベル専門家グループ、Integrity Matters:Net-Zero Commitments、および後続のアカウンタビリティに関する提言。
