まだ使えるのに、出口のないモノ

新しいモノは売りやすい。壊れたモノには、既存の搬出とリサイクルの経路がある。いちばん詰まりやすいのは、そのあいだの一段である。まだ使えるが、家ではもう必要なく、たまたま知る引き取り手もいない。それらはベランダ、物置き、通路の先に残り、状態がさらに悪くなってから処理される。

これは単なる個人の選択ではない。一件のモノを家から次の使用者の手へ渡すには、写真を撮り、状態を判断し、掲載し、返信し、時間を合わせ、搬出しなければならない。忙しい家庭、一人暮らしの人、ケアする人にとって、この一連の仕事は、しばしば搬出よりも難しい。

価値があるように見えて、処理の代価は高い

長年ほとんど使われていなかったランニングマシンが戸口へ運ばれ、二日待っても引き取り手が現れず、最後は家族が分解してリサイクルへ送った。別の住まいに二十年置かれたタイルは、搬出車もごみ収集車も扱えず、家主は自分でネット上に引き取り手を探さねばならなかった。どちらのモノも、すぐに機能を失ったわけではない。詰まったのは、その価値を実現するのに要する時間、車両、調整である。

したがってモノの再使用は、「まだ使えるか」だけを問うてはならない。「この道を誰が処理できるか」も問わねばならない。捜索と運送の責任がすべて元の家主一人に落ちるなら、いちばん合理的な選択は、しばしばいちばん力のいらない道である。

事例から見える、抑えられた需要

十戸の訪問整理の記録では、百九十五袋が譲り渡され、二百十九袋がごみとされ、さらに百六十六袋がリサイクルへ入った。十戸は無作為標本ではなく、整理の人員が手伝っているため、社会全体の推計には使えない。だがこれらの現場では、譲り渡しの数量がごみの数量に近く、なお多くの再使用できるモノが出口を待っていることを示している。

ある家庭は揃いの家具、バスケットボールスタンド、鉄の椅子を送り出した。事務用紙材と百科事典を組織へ寄付した人もいる。これらの成功に共通するのは、たいていモノがとくに高級だったことではなく、需要がどこにあるかを知る人がおり、引き渡しを完了できたことである。

リサイクルと再使用は、役割が同じではない

リサイクルは重要である。材料をふさわしい条件のもとで処理の仕組みへ戻す。だが、なお安全に使える用品が譲り渡されれば、製品の寿命を延ばし、新規購入の需要も減らしうる。両者は競い合う必要はない。モノの状態がまだ良いときに、よりはっきり分流することである。

前提は、ふさわしくないモノを受け手へ押しつけてならない、ということである。破損、汚れ、欠品、安全上の懸念がある用品は、正直に説明しなければならない。そうでなければ、いわゆる寄付は処理のコストを移しているだけである。再使用の価値は、引き取り手がほんとうに使えることのうえに立つ。

中間の一段に、一条の道を用意する

地域、非営利組織、公共サービスは考えうる。探しやすい寄付先の情報があるか。決まった交換の時間帯があるか。一時保管と分類の空間があるか。大型のモノの搬出を助ける手配があるか。これらのやり方は、すべてのモノに行き先があることを保証しない。だが再使用が、「たまたま必要とする人を知っているとき」だけに起きなくて済むようにしうる。

モノが一つの家を離れるとき、売るか捨てるかの二つの答えだけが残ってはならない。社会がこの中間の経路を受け止められれば、ものを大切にすることは、個人が力を使い果たすことに頼らなくて済む。

出典:廖心筠 Facebook 粉絲專頁(內容整理與改寫)

物を整え、次へつなぐ四つの段階を示す図