意識ある暮らし:何を使うか
断捨離、発生源での削減:きれいに捨てることではなく、はっきり意識して買うこと

部屋を片づけていると、しばしば驚かされる。自分はこんなにも多くの物を持っていたのか、と。買ったこと自体を忘れていた物、一度開封しただけで棚にしまい込んだ物、捨てるに忍びないまま二度と使っていない物。そうして時間をかけて分類し、収納し、さらに収納用品を買い足す。結局のところ「多すぎる」状態を、少しばかり整然と隠しただけである。
断捨離が扱うのは空間だけではなく、私たちと物との関係でもある。片づけの終着点が、大量の物を捨てて空いた場所にまた買い足すことであるなら、それは削減ではない。問題を自宅から焼却炉や埋立地、あるいは他人の生活環境へ移しただけだ。
だから「何を使うか」は、買う前から始まるべきである。この品は本当に必要か。家に代わりになる物はすでにないか。どれくらいの期間使うのか。壊れたら修理できるのか。こうした問いを立てるのは、消費を苦しいものにするためではなく、自分のために判断する時間を確保するためだ。衝動買いの多くは一瞬の目新しさを売っているにすぎず、後に残るのは長期にわたって場所を占める物と、その処理にかかるコストである。
発生源での削減とは、何も買ってはいけないという意味ではない。耐久性があり、修理でき、詰め替えや繰り返しの使用ができる製品を優先して選ぶということだ。必要だが使用頻度の低い道具は、レンタルや共有で済ませられる。サイズが合わないが機能はまだ十分な物は、交換したり譲ったり、中古の循環に乗せたりできる。一つの物を十分に使い切ることは、急いで「エコな」代替品を探すよりも、たいてい現実的である。
ただし、分け合うことにも責任が伴う。すでに使えなくなり、高額な処理費用がかかる物を、善意という包装で他人に押しつけてはならない。寄付の前に、需要があるか、清潔な状態か、受け入れの条件はどうかを確認してこそ、相手を尊重することになる。公益団体は無料の廃品回収業者ではないし、善意が負担を別の誰かに肩代わりさせるものであってはならない。
企業もまた無関係ではいられない。製品が修理しやすいか、部品が入手できるか、包装は本当に必要か、情報は明確か——これらが消費者により良い選択をできるかどうかを左右する。商品が短期間で買い替えられるよう設計されているなら、どれだけ熱心に分別して回収しても、廃棄物が生まれる速度には追いつけない。
クリアな意識で物を使うとは、関心を「どれだけ持っているか」から「実際に何が必要か」へと戻すことである。よく使い、大切にしている物を残す。修理すればまだ使う価値のある物は直す。ふさわしい物は必要としている人と分かち合う。そして、束の間の欲望に自分の決断を委ねることを拒む。
物が多すぎる状態は、先送りにされた決断の集積でもある。「いつか使うかもしれない」の一つひとつが、わずかな空間を占め、同時に注意力をも占めている。片づけに際して自分に非情さを強いる必要はない。今の暮らしに正直に向き合い、大切な人と事柄のために場所を空ければよい。
すっきりした空間はよいものだが、より重要なのは、はっきりとした暮らしである。断捨離は一度の大掃除で終わるものではない。次に手を伸ばして何かを買おうとするとき、なぜそれが必要なのかを自分で分かっているかどうか。それこそが本当の試金石である。