この社会へ:動員

「誰かがやってくれる」から「私も参加できる」へ

貧困、孤立した高齢者、環境汚染、都市と地方の格差——こうした問題を前にすると、私たちは二つの反応をしがちである。一つは怒り、もう一つは無力感だ。問題はあまりに大きく、個人の時間や能力はあまりに小さい。結局、政府や企業、あるいはもっと資源を持つ誰かが対応してくれるはずだと自分に言い聞かせてしまう。しかし、誰もがその「誰か」を待っているなら、多くのニーズはただ待たされ続けるだけである。

ビジョン協会がいう「動員」とは、人数の多さや規模の大きさを求めるものではなく、賑やかなイベントを一度開くことでもない。関心を寄せたいと願う人が参加できる居場所を見つけられるようにし、散らばった善意や専門性、資源を、継続的に機能する力へと変えることである。

寄付ができる人もいれば、場所を提供できる人もいる。法律や医療、教育、テクノロジーに詳しい人もいれば、高齢者に二時間寄り添うことだけならできるという人もいる。関わり方は違っても、その価値に上下はない。社会に足りないのは善意ではなく、互いを見つけ、つながるための方法である。

だからこそ協会は、世代を超え、分野を超えたプラットフォームでありたいと考えている。私たちは協働を名刺交換とは考えないし、社会貢献を一度きりの露出にするつもりもない。よい協働は、まず次のことを明確にする必要がある。問題は何か。本当に必要としているのは誰か。既存の資源はなぜ届いていないのか。それぞれがどこまで責任を負うのか。これらを明らかにして初めて、行動は記念撮影とともに終わってしまうことがなくなる。

動員には透明性も欠かせない。どれだけの資源を集め、どのように使い、どのような成果が生まれたのか、そして何ができなかったのかまで、説明されるべきである。出発点が善意だからといって、管理を省略してよいわけではない。むしろ社会からの信頼に支えられているほど、明確な仕組みが必要になる。そうでなければ、一度の不明瞭な会計や誇張された成果が、多くの人が長い時間をかけて積み上げてきた善意を損なってしまう。

もちろん、誰もが提唱者になる必要はないし、参加のたびに華々しくある必要もない。信頼できる情報を共有すること、真面目に営む地元の店を応援すること、地域の話し合いに一度参加すること、自分の専門性を必要とされる場で活かすこと——それらはすべて市民の行動である。大切なのは、傍観から理解へ、そして理解から具体的な選択へと進めるかどうかだ。

成熟した社会にも問題はある。違いは、問題が起きたときに、それを言葉にする人がいて、耳を傾ける人がいて、どう共に対応すればよいかを知っている人がいることだ。政府には政府の責任があり、企業には企業の責任がある。そして市民もまた、サービスを受ける対象にとどまらず、街と社会を共につくる担い手である。

動員とは、「私は気にかけている」を「私は参加する」に変えることだ。一人の力は限られているかもしれない。しかし、それぞれが自分の居場所を見つけたとき、変化は英雄の登場を待つ必要がなくなる。