森林と海洋は無限の吸収装置ではない——なぜ炭素吸収源も守られる必要があるのか

ネットゼロが語られるとき、植樹はほとんど常に最も理解しやすい答えとして挙げられる。樹木は二酸化炭素を吸収し、海洋も大量の熱と炭素を吸収できる。そのため私たちはしばしば森林と海洋を「炭素吸収源(カーボンシンク)」と呼ぶ。しかし炭素吸収源は、いつまでも空きがある倉庫ではなく、人類が排出を続けることを許す無料の清掃部隊でもない。

世界気象機関(WMO)は、2023年から2024年にかけて世界の二酸化炭素濃度が3.5ppm増加し、1957年に近代的な観測が始まって以来、最大の年間増加幅となったと指摘している。化石燃料による排出と森林火災の増加に加えて、陸域生態系および海洋の吸収能力の低下も、その原因の一つである可能性がある。気候が高温化し、干ばつや森林火災がより頻発するようになれば、本来私たちのために炭素を吸収してくれていた自然のシステムそのものが損なわれかねない。

炭素は地球上を絶えず巡っている

植物は光合成によって大気中の二酸化炭素をバイオマスへと変える。土壌は根系や落ち葉、微生物によって形成された有機炭素を蓄える。海洋は溶解と生物の働きを通じて炭素を吸収する。これらの過程が炭素循環を構成し、人類が排出した炭素の一部を一時的に大気から取り除いている。

しかし森林が伐採されたり焼失したりすれば、蓄えられていた炭素は再び放出される。土壌が侵食を受け、過度に耕作されれば有機炭素は失われる。海洋がより多くの二酸化炭素を吸収すれば、酸性化が進み、サンゴや貝類に影響が及ぶ可能性もある。炭素吸収源が与えてくれるのは時間であって、免責ではない。

だからこそ「何本の木を植えたか」を、そのまま恒久的な排出削減と同一視することはできない。その樹種はその土地に適しているのか。もともとそこはどのような生態系だったのか。誰が世話をするのか。数年後に火災や病虫害、開発によって失われた場合、すでに計上した炭素はどう扱うのか。こうした問いは、植樹イベント当日の写真よりもはるかに重要である。

既存の生態系を守ることは、事後に植え直すよりも確実な場合が多い

成熟した森林が長年にわたって築いてきた生態的な関係は、苗木をひとまとまり植えたところで、すぐに代替できるものではない。湿地、泥炭地、マングローブ、海草藻場は、炭素の貯留と同時に、洪水の抑制、生物の育成、海岸の保護といった機能も担っている。自然を活用した解決策(NbS)の本当の価値は、何トンの炭素かに換算するだけでは測れない。

政府や企業が炭素吸収源を計画する際には、まず既存の生態系を破壊しないことを前提とし、その上で再生や吸収量の増加を語るべきである。また、地域コミュニティや先住民族の土地の権利を尊重しなければならず、カーボンクレジットを得るために、自然保護を住民を排除する口実に変えてはならない。

一般の人々にとっても、炭素吸収源を守ることは植樹に参加することだけを意味しない。生息地を破壊しない製品を選ぶこと、無駄を減らすこと、水源や土地開発に関心を持つこと、そして再生計画に長期的な成果の公開を求めること。これらはいずれも、自然保護を一度きりのイベントから継続的な管理へと進めていく行動である。

森林と海洋は、人間の経済の外側にある背景ではない。それらは水、食料、気候、そして暮らしの安全の一部である。炭素吸収源を守ることは、帳簿上の排出量を差し引くためだけではなく、私たちが依然として健全で持続的に機能する地球システムに依存しているという事実を認めることでもある。

参考資料

  • 世界気象機関(WMO)『Greenhouse Gas Bulletin No. 21』、2025年。

  • 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、炭素循環および陸域・海洋の炭素吸収源に関する評価報告書。